Hebron vol.2 街の中。
ユダヤ人地区から出ているユダヤ人専用のバスに乗る。
当然の如く、中にいるのは全員ユダヤ人(このときは学生だった。)
私たち4人は、完全に浮いていた。
完全なるAWAY感に、写真を撮る勇気がでず・・・無念。
乗ること1時間、キリアット・アルバに到着。
・・・したものの、ここがドコだかわからないぞ。
道行く人に「アブラハムモスクはドコですか?」と訊ねるも、玉砕。
(知らないわけないだろうがぁぁぁ!)
なんとか地図を頼りに、それらしい道に出た。
そして、なんとなくの境界線を越えると、景色が一変。
↓オリーブ畑から見た、キリアット・アルバ。
パレスチナ人地区に入ると、こと人が親切になった。
アブラハムモスクはこっちだ!こっちだ!と案内してくれた。
↓ヘブロンのパレスチナ人居住区。
↓またまた検問。
もうすぐ目の前にはモスクが見えているのに、
通れない道が多くて多くて、なかなかたどり着けない。
ぐるぐる徘徊し、やっとパレスチナ側のモスクの入口に到着。
↓意外に質素だったモスクの中。
↓対してこちら、ユダヤ人側のモスク。
モスクの前には大きな広場があり、えらい違いだな。
↓中に入ると、ちょうど課外授業にきているユダヤ人学生?を発見。
イスラエルには、そう兵役義務があり、
男子は18歳〜35歳か40歳かの間に(忘れた。)2年間の兵役を勤める。
なので、若い子からおっさんまでいっぱいいた。
でもその中にいた若い男の子、完っ全に授業を聞いていなかったな。
無駄にお洒落さんだったし、ちょっとイケメンだった。
やっぱ若い子は興味ないんだろうなぁ、そんなことよりお洒落?
ちなみに女子は、高校卒業したあとすぐ18〜20歳と決まっているそう。
↓どうしても目がいってしまう、このお皿。
↓熱心な方々も。
モスクを出て、旧市街に行ってみることにした。
すると兵士を発見!
↓左の道がユダヤ人専用の道。
↓こんなもんで、道を隔てている。
ちなみにパレスチナ人は奥には行けない。
もしこの隔たりをまたごうとしたら、、撃っちゃの?
旧市街に一歩足を踏み入れると・・、そこはまるでゴースト・タウン。
こんな寂しい旧市街があっていいのだろうか、、聞いていた以上だった。
お店もほとんどが閉まっていて、歩いている人もちらほら。
観光客はほぼいなかった。
・・・これじゃあ、暮らしていけないよ。
↓荒廃した旧市街。
↓旧市街のメイン通り。
さらに旧市街のメイン通りの上には、ユダヤ人住居。
勝手に住み始めてしまったらしく、上からの嫌がらせがあるらしい。
それを避ける為に通りの上には金網が。
↓通りから上を見上げる・・・破れてますけど。。
↓サッカーゴール。先に見えるは、分離壁。
ヘブロンに住むパレスチナ人のお宅にお邪魔することになった。
家に向かって歩いていると、早速ポリスに止められた。
どうやら、観光客を引き連れて何してるんだ?!ということらしい。
↓IDチェックを受ける。
お宅の入口に着くと、子供たちが賑わっていた、なんだ?
↓うかれる子供たち。
ちょうど赤十字から物資が届いたらしい。
ヘブロンでは、もはや自分たちの力では生活ができず、
毎月こうやって送られてくる救援物資で、なんとか生活しているのだ。
と語ってくれた。
話を聞かせてくれた男の人は、30歳くらいの人で、
かれこれ10年、働いていないという。
働きたくても、働かせてもらえないのだという。
生活ができなくなって、去っていった家族がたくさんいる。
ここに残っている家族も数十世帯になってしまったと。
深刻過ぎて、返す言葉も見つからない。しかも英語でなんて。
もはや聞くしかなかった。
トドメには、救援国のメンバーに日本が入っていないのは何故だ?
と問われ、立ち去りたい気持ちになった。
重たい重たい帰り道、
ふと脇道を見ると、兵士が銃口をこちらに向けていた!
さすがにビビった。
もし手をポケットに突っ込んだら、どうなるだろう?
なんて考えつつも、むしろ両手を振り上げ、お行儀良く歩いてしまった。
やっぱ、拳銃。こわい。