ブッダガヤで学校を作る!
06:15、GAYA到着。
14時間の移動で20分の遅れは、ありえないくらい素晴らしいことなのだ。
「インドの電車は、出発も到着も遅れる」って聞いていたけど、
空港に続き、予想外がまた起こった。
ガヤの駅からオートリキシャに乗って、16km先のブッダガヤに着き、
※オートリキシャ40Rs(80円)
地球の歩き方に載っていたWelcome G.Hの隣りのOm G.Hに宿を取った。
※Single room 100Rs(100円)
仮眠して下に降りたら、なぜかエントランスでインド人が待っていた。
どうやら「この宿にアジア人が来た」という情報がまわったっぽい。
すげーw はえーw
他に日本人もいるし来いというので、気が向いたのでついて行くことにした。
着いた先はネット屋だった。
そこには本当に日本人がいたし、日本語を話すインド人がいた。
彼らはミネハハという日本人の方の出資でブッダガヤに学校を作っているという。
私は知らなかったけど、ミネハハはここでは有名な人らしいです。
インドでは貧乏で教育を受けられない子供たちがたくさんいるんだって、
そんな子供たちのために無料で受けられる学校を作っているのだ。
建物を建てるところから、先生を捜すところまで全部、ぜーんぶ。
大変な仕事、でもやりがいのある仕事なんだろうな。
そんな仕事を垣間みられるというので、喜んでついて行くことにした。
車で走ること15分くらい。
中心地からそう遠くない、それなのになーんもない風景にたどり着いた。
ブッダガヤは思っていた以上に、小さい町かもしれない。
だだっ広い平地に学校を作っていた、しかし日本よりかなりのんびりと。
お昼ご飯には、ヤギのカレーとビールをごちそうになった。
きっと日本人の私たちに向けて、いつもにはない歓迎の振る舞いなのだと思った。
私自身も今までにない豪華なカレーだった。
夕方、スジャータ村に行った。
ここは悟りを開いたブッダに(飢えでフラフラ状態だった)、
スジャータが乳粥を供養したと言われている村だ。
ここでパラティという地元のゲームで遊んだ。
パラティとは、ボールを使わないドッヂボールみたいなゲームに
ケイドロ(ドロケイ)を混ぜた感じで
うまく言えないけど、最終的には腕力のある人が有利な遊びだったが
捕まえようと追っかけてくるので、必死で砂の中を走りまくった。
きっとインドの女性はやらないんだろうな〜w
その後は、一番若いインド人のPJ君が家に誘ってくれ、
夜ご飯をごちそうになったりしつつ、家族の暮らしを垣間みることができた。
PJの家には、親兄弟、そして兄弟の子供と、たくさんの家族が一緒に暮らしていた。
にぎやかで、温かく、そして自由もあった。
PJの姪の女の子。とってもかわいい。
勢いとなりゆきの1日は、予想外に面白い1日になった。
ちょっとだけ、インドに触れた気がした。
そんな1日をムービーに撮ったのでどうぞ〜♪