シリア、ゴラン高原クネイトラ。
負の遺産として、今もなおその破壊された姿で残るクネイトラ。そこから私は何を感じるのか。
クネイトラとは?
もちろん、私も知らなかった。
ということで勉強はした。・・したものの、いざ説明するとなると難しい。
Wikipediaに任せたいところだが、ここは頑張るところ。
簡単に言うと、
[ゴラン高原のクネイトラ]とは?
シリアがイスラエルとの戦争で何度も奪い合った土地で、その因果関係はかなり深い。最終的には、イスラエルがシリアに返還するかたちで落ち着いたわけなのだが、その返還の仕方が問題で、撤退の際、イスラエル軍により街は爆撃され、悲惨なくらい破壊されてしまった。そしてシリアもまた、そのイスラエルの残虐な行為を見せしめるかのように、破壊されたままの姿で放置しているのであった。
そんなこんなで、悲しくもクネイトラは負の遺産となり、今日まで至る。
ということで、
内務省のガイドのもと、破壊された街クネイトラを歩く。
↓病院。
↓それでも頑張る木。
ボコボコだった。
悲しいくらいに、街は死んでいた。
いや、死んだままになっていることが、悲しいのか。
ここは政府のガイド付きじゃないと見て回れなくて、
ムービーはダメだったり、写真もダメなところがいっぱいあって、
むしろ撮っていいところが少しあるくらいか。
そんな制約の中で、この悲惨な廃墟を見て回るのだ。
「廃墟を廃墟のまま、残す。」
・・・気持ちはわかるけど、なんかスッキリしない。
本当にこのままでいいの?
・・むずかしい。
こんなときは例え話に限る。
隣の人に、すごく大事にしていたパソコンを取られてしまった。
返して、返して!と何度も頼む。
すると、ボッコボコにされて戻ってきた。
・・・腹立つなぁ。
もういらない?
新しいのを買う?
いや、弁償して欲しいくらいか。
でももし、それがパソコンじゃなくって生きものだったら?
家族や友人、はたまた愛犬だったり・・・
そのままになんて、絶対しておけない。
すぐに癒してあげないと。
果たして、
土地とは生きものなのか、そうでないのか。
とかね。
大きなことでも小さなことでも、
人の感情ってこーいうことなんだよなぁ。
とりあえず、身の回りの小さなことを気をつけよう。
ここに来た意味をなくさないように。